縁切り鬼
 太陽は山の端に掛かりながら、その日最後の輝きで世界を茜色に染めていた。昼のうちはそれなりに通行量のある公園前通りだが、十八時を過ぎると人通りもまばらになる。その道を二人の女子高生が連れ立って歩いていた。
 今彼女たちの話題の中心にあるのは、彼氏とのデート話のようだ。片方の少女が今度のデートで人気のテーマパークへ行くと話している。それまで相槌を打ちながら聞いていたもう片方の少女だったが、テーマパークの名前が出た途端複雑そうな表情を浮かべ、口を挟んだ。
「え?今度のデートあそこに行くの?やめた方がいいよ?」
 突如否定の言葉を入れられた少女は、その言の意図が理解できずぽかんと口を開いて固まった。少女の困惑を解消するかのように、もう一人の少女は言葉を重ねる。
「あそこ、カップルで行くと別れるんだって。知らない?」
 聞いたことない、と答える少女に語られたのは、よくある破局のデートスポットについての噂であった。そのテーマパークもそれなのだという。
「B組の笹木さんとか、E組の横室くんとか、観覧車でケンカになって別れたカップル、結構いるみたい」
「……じゃあ、観覧車に乗らなければいいの?」
「んー、なんかね、ジェットコースターも二人で乗るとダメなんだって。パレードを一緒に見るってのもダメって聞いたなぁ。ってか、この二つダメってつまんないよー?」
「ええー、そうなの?どうしようかなぁ……」
「あそこって近くに神社あるらしいんだけど、そこの女神様がカップルにヤキモチ焼いて別れさせるんだってー」
「なにそれー?ひどーい!」
 そんなことを言い合いながらも、少女たちの表情はどことなく楽しそうに見えた。二人はなおもその話題で盛り上がり、やがて道の分岐点に至ると手を振り合ってそれぞれの家へと帰っていく。

「ふっ……」
 少女たちの立ち去った分岐路に静かな笑いが漏れた。それは女子高生の少し後を歩いていた、主婦らしい女性から発せられたものだった。
「まったく……勝手なことを言ってくれるわねぇ……」
 困ったような笑みを浮かべ、少女たちの背中を交互に眺めながら、女性はそんな呟きをこぼしていた。
「結婚して、子どももいて、今私とっても幸せに過ごしているもの。ヤキモチなんて……あり得ないわ」
 もっとも私は神社の女神様じゃあないけどね、と付け加え、女性は止めていた歩みを再開させる。
 そう、彼女こそがデートスポットでカップルを別れさせる現象≠サのものだった。彼女は人と人との縁を切る鬼なのだ。それも、現在において良好であるような関係を。特に男女の縁を断つのが彼女のお気に入りだった。

 女性の手にはいつの間にか和鋏が握られていた。交わる刃をシャキリと音を立てて擦り合わせる。穏やかに、しかし意地の悪そうな笑みを浮かべると、彼女の姿は夕闇へと溶けた。
 目に見えぬ彼女の影が、手を繋いで歩いていたカップルを追い越す。耳に届かぬ鋏の音が空気を震わせた。不意にカップルの女が、男に向かって些細な不満を口にする。対した男もむっとして言い返す。繋いだ手は振りほどかれ、忽ち口論が始まった。
 影が今度は公園のベンチに腰掛けた男女の後ろを通り抜けた。女の肩を抱き、「君が一番大切だよ」と囁いた男の元に仕事場で起きたトラブルの電話が舞い込む。電話はちょっとやそっとでは終わりそうにない。女の表情には不安と怒りが混ざっていた。

「そんなの、面白いからに決まっているわよねぇ。ラブラブのカップルが喧嘩別れするのって本当に面白わァ」
 だんだんと濃くなっていく闇の中で鬼は嗤っていた。
「他人の不幸は蜜の味……ってねぇ」
 因果の外にある彼女にとって、それはただの娯楽に過ぎない。

 何組かカップルの仲を裂き、いくらか気を休めた彼女は鋏を納めると、再び主婦の姿をとった。その頭の中にはすでに今しがた縁を切ってきたカップルのことはなかった。
「でもあそこのテーマパークも噂が広まってきたせいで、最近カップルがめっきり減ってきちゃって、いまひとつ奮わなくなってきたわね。そろそろ他所へ行こうかしら?」
 女子高生たちが破局のデートスポットとして噂していたテーマパークのこと、それについて考えていた。彼女はここ一年ほど、そこを中心に活動している。彼女の言葉通り、テーマパークに関する噂はかなり広まっており、カップルで訪れる人間は少なくなっていた。そろそろ根城を移す時期にきているのだ。遅かれ早かれ、そういう時期は必ずやってくる。一年ならば、まだ長い方と言えた。テーマパークへの未練は、特に無かった。寂れて潰れてでもしまわない限り、人の集まる場所にはまた戻ってくることもできる。
「最近できたって話のアミューズメント施設、あそこなんかどうかしらね……?」
 彼女はひとつ軽い伸びをして、あれこれと考えながら自らの家路についた。その胸を満たしているのは、新たな場所への期待だった。辺りはすっかりと闇に落ち、街を照らすものは薄暗い人工的な光だけとなっていた。





モドル